人生は小説よりも奇なり
- 510(ごとう)
- 2016年3月14日
- 読了時間: 3分
人生は小説よりも奇なり。という言葉があったと思うが、まさにその通りで、自分が頭の中で描く理想の未来は、希望的観測でどれも根拠のないもの。しかし未来は得てしてことごとく自分の予想を裏切ってきて魅力的である。自分の想像力をはるかに上回る未来が各々には用意されていると感じる。
誰が想像しただろうか、
私が卓球にはまることを。
私は毎日職場の昼休みに卓球を30分楽しんでいる。いや部活といっていい。いや卓球のために仕事にきているというべきか。
さて、ビギナー諸君の卓球に対する印象はどのようなものか。
「ださい」
図星であろう。しゃもじのような道具を使ってスカスカのボールを狭いフィールドで打ち合う。昔の私も同じだった。
だがビギナー諸君が思っている卓球はなまじ「温泉卓球」のようなもので、実際学生時代などに「本物」の卓球部の練習をみたことがあるのだろうか。
みればわかる。卓球は「戦争」なのだと。
そこで卓球の魅力をビギナー諸君に伝えよう。
1.日本が世界に通用する数少ない球技である。
先日の世界卓球も見てもおわかりのとおり、日本の卓球のレベルは野球についで世界を圧倒している。サッカーのように期待を煽るだけ煽って予選敗退などというオチはもはやコントである。
2.圧倒的な緊張感
狭いコートを隔てて、目の前の相手と対峙するという状況は球技の中では異質といっていい。それが生み出す緊張感、その近さゆえに圧倒的な瞬発力、判断力、爆発力が必要。少しの気の緩みが勝敗に直結するというハラハラドキドキ感が癖になる。
3.圧倒的な親しみやすさ
15歳の伊藤選手が世界で活躍するように、卓球は性別、年齢、体格を選ばない。大は小をかねるという言葉の対局にいるのが卓球である。したがって、町内会などでおじいちゃん達のスポーツ大会にもってこいである。
4.圧倒的な安心感
卓球のスマッシュは時に70キロを計測する。しかし、ピンポン玉を見てみよう。中は空洞の単なるプラスチックである。これなら、身体にあたっても全く痛くないし、うっかり隣の家の窓ガラスをわって、「こらァまたお前らか」と追い回される危険性もない。こんなスポーツを作ってくれた歴史上の誰かさん、本当にありがとう。
さて、少々熱くなったが、私は卓球を初めて約3か月、今ではマイラケットも所有し、自分でも驚くほどの成長をとげた。今日の試合を決め手となった横回転サーブなどは、あまりの鋭さに相手は玉を追うのをやめてしまうほどであった。
これからも私は卓球を探求し、引き続きスキルを磨きつつけるだろう。
話を最初に戻そう。未来は自分の想像の範疇を軽く凌駕してくるのである。そもそも私は社会人になってバンドをやる予定でなかった人間である。それがわずかでもTVに取り上げられるほどにまで継続した。
そして卓球、である。
このブログを読んでいるみなさんの中にもし自分には何も取り柄がないと思う方がいらっしゃったら、そう判断するのはまだ早いのではないでしょうか。
もし自分自身のアイデンティティに思い悩むことがあったら、「後藤 卓球」この言葉を思い出してください。人生は小説よりも奇なり。という言葉があったと思うが、まさにその通りで、自分が頭の中で描く理想の未来は、希望的観測でどれも根拠のないもの。しかし未来は得てしてことごとく自分の予想を裏切ってきて魅力的である。自分の想像力をはるかに上回る未来が各々には用意されていると感じる。
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